新月前の宝登山ハイク そのに


前回の続きです。

山頂から、少し降りたところに寳登山神社奥宮はあります。
鳥居をくぐってすぐに感じた、冷気。
今までぽかぽかだったのに、いくら日が当たらないとはいえ息も白くなり、体感だけでなく
まるで、異世界にでも来たような雰囲気です。これは初めての感覚でした。
畏敬の念を抱くとはこういうことですね。

 

寳登山神社HPのご由緒によると

荒川の左岸に山裾をひろげる宝登山497.1㍍の山頂に奥宮が、麓の山懐に抱かれるような形で
本社が鎮座いたします。 今からおよそ1900年の昔の事、第12代景行天皇の皇子日本武尊
東国平定後に秩父の地にお入りになり、秀麗な山容に魅了されミソギを済ませ山頂へと向かいます。
しかし突然の山火事に進退が極ったその時忽然と山犬たちが出現し瞬く間に火を消し止め、
尊一行を頂上まで案内すると山犬たちは姿を隠してしまいました。この不思議に尊は山の神が
御眷属の大口真神たる山犬をお遣わしになり、自分たちを救ってくださったとお悟りになり、
山頂に神籬を設え尊の祖先にあたる第一代神武天皇・山の神の大山祇神・火の神火産霊神を祀り、
山の名を「火を止める山」と表し「火止山=ほどさん」と定めました。
このことが寳登山神社の始りと伝えられるのです。
その後弘法大師の御跡を慕う圓空が永久元年この地に草庵をむすび玉泉寺を開き
神仏が静まるところとなり、ともに栄えてきました。
江戸時代には玉泉寺が別当を務めて社を「寳登山大権現」と呼び維持してきましたが
明治を迎えると神仏分離によりそれぞれが独立した社寺となりますが、
共に支え合うかたちは今に続きます。


山頂にて御三柱の神をお祀りしているのですね。
私の感覚ではありますがしっかりと感じることができました。なぜこんなことを書くのかというと。。。
以前に著名なスピリチュアルな方が、山頂には神がいないと本に書いてらっしゃって、せっかくお詣りしたのにとがっかりしている友人がいたのです。そのときは、どちらが正解という話ではないので安心してと答えました。
一人ひとり、感覚は違うし、その時にキャッチできるエネルギーの周波数も違うし、日にちが違えば、時間が違えば、感じ方も同じように違うんだと私は考えています。
私が書いていることも含め、参考程度にして、実際に足を運んで自分が感じたこと、思ったこと、それこそが「自分自身にとっての真実」でいいのではないかなぁと思います。
そんなことを思い出しながら、奥宮前のお犬さまたちにご挨拶します。

 


どちらも優しいお顔です。
この奥宮の前には売店があるのですが、こちらのおばあちゃまがこのお犬さまたちにお声がけしているみたいでその様子がつたわってきました。

さて、奥宮にお詣りして、いつもならぐるりとお宮をまわらせていただきますのですが、足がすくんでできませんでした(^_^;) ここでもさらに畏敬の念を感じ静かに奥宮をあとにしようとしたときです。
すごい勢いで紙垂が揺れています。。。
何を言わんとするかは、先に私が投げかけていたことの答えなのだろうなぁ。。。
ということで、やります!
今年最後の、『自然と自分を繋げるFW』先着最大4名さま。
行く場所は参加者により変わります。詳細は別途ご案内しますが、少人数なので、詳細前に希望の方はFBメッセンジャーにてご連絡くだださいませ。

 

そんな私の様子をお犬さまがにこやかに見つめてるような気がしました。

 


山頂のぽかぽか陽気とは打って変わり、ここは吐く息が白くなる寒さ。
せっかくなので、甘酒と胡桃味噌こんにゃくをいただいて、一息つきました。
その休憩中、一緒にいたかなさんはメッセージを受け取ったようです。
そのエピソードはかなさんのブログに書かれています。

 


名残りおしいですが、すでに山頂到着から2時間は過ぎていたため下山することにしました。このあと、寳登山神社にお詣りして、お昼を食べて、秩父神社・・・・
む、無理じゃないかなぁ。。。

 


下山はさくっとロープウエイで。
いま思えば、山頂だけで満足だったかもしれません。


これで奥宮編は終わりです。お読みいただいてありがとうございました。
次はようやく、『寳登山神社へ』です。