先日の神社仏閣FWで、武蔵一宮小野神社へいってまいりました。
武蔵一宮を称する神社は、3カ所ありますね。
全国一の宮巡拝会にて紹介されているのは、大宮氷川神社と氷川女體神社ですが、登録?紹介されていませんが、小野神社も武蔵一宮なんです。
一之宮とは、中世に全国的に確立した、国内における神格の格付けで、国内第一の鎮守という意味です。
南北朝時代に成立した『神道集』の記載にも『一宮は小野大明神』という記載が見られ、一宮=小野神社(当社)であることが確認できます。
武蔵国内には一之宮小野神社(当社:多摩市)を筆頭に、二之宮小河神社(現・二宮神社:あきる野市)、三之宮氷川神社(さいたま市)、四之宮秩父神社(秩父市)、五之宮金鑚(かなさな)神社(児玉郡神川村)、六之宮杉山神社(横浜市緑区西八朔)が編成されていたことが分かります。
国司が任国に赴任した際には、国内の主要な神社を参拝したとされており、武蔵国の6つの神社もそうした神社であったのでしょう。特に一之宮は、国司が最初に巡拝したと考えられます。
武蔵総社・六所宮(現・大国魂神社)の境内には、この6つの神社が祀られています。総社は、国内の神霊を一箇所に集めた神社で武蔵国の場合は、国府内にありました。六所宮の例大祭(くらやみ祭)では、境内に祀られている一之宮から六之宮の神輿が出御し、かつて6つの神社が六所宮に集結したようすを残していると思われます。
一之宮から六之宮の位置は武蔵七党など武士団の分布に深くかかわっていると言われています。
小野神社は横山党・西党、小河神社は西党、氷川神社は野与党・足立氏、秩父神社は丹党・猪俣党、金鑚神社は児玉党、杉山神社は横山党など、それぞれの武士団の影響下にあったと推測されます。
小野神社 公式HPより抜粋
南北朝時代に成立した『神道集』の記載にも『一宮は小野大明神』という記載が見られ、一宮=小野神社(当社)であることが確認できます。
武蔵国内には一之宮小野神社(当社:多摩市)を筆頭に、二之宮小河神社(現・二宮神社:あきる野市)、三之宮氷川神社(さいたま市)、四之宮秩父神社(秩父市)、五之宮金鑚(かなさな)神社(児玉郡神川村)、六之宮杉山神社(横浜市緑区西八朔)が編成されていたことが分かります。
国司が任国に赴任した際には、国内の主要な神社を参拝したとされており、武蔵国の6つの神社もそうした神社であったのでしょう。特に一之宮は、国司が最初に巡拝したと考えられます。
武蔵総社・六所宮(現・大国魂神社)の境内には、この6つの神社が祀られています。総社は、国内の神霊を一箇所に集めた神社で武蔵国の場合は、国府内にありました。六所宮の例大祭(くらやみ祭)では、境内に祀られている一之宮から六之宮の神輿が出御し、かつて6つの神社が六所宮に集結したようすを残していると思われます。
一之宮から六之宮の位置は武蔵七党など武士団の分布に深くかかわっていると言われています。
小野神社は横山党・西党、小河神社は西党、氷川神社は野与党・足立氏、秩父神社は丹党・猪俣党、金鑚神社は児玉党、杉山神社は横山党など、それぞれの武士団の影響下にあったと推測されます。
小野神社 公式HPより抜粋
御祭神
・天下春命
・瀬尾律姫命
「大祓詞」にでてくる神様である、瀬尾律姫命さまが祀られているんですね。
「佐久那太理(さくなだり) に落ちたぎつ速川(はやかは) の瀬に坐(ま) す瀬織津比売(せ
勢いよく下る流れの速いところに鎮座されている瀬織津姫水神や祓神、瀧神、川神であり、九州以南では海の神ともされていますね。
さて、小野神社は、多摩川を挟んだ北側、府中市住吉町(旧小野宮)にもあるんですよね。
調べていないので謎なのですが、御祭神はどちらも天下春命と瀬織津姫命です。
瀬織津姫命といえば、持統天皇に封印されたことなどを思い浮かべますが(これが真実かはともかく)
先日、持統天皇を描いた「天上の虹」を読んだばかりなので、色々と感慨深く。。。
その時代背景だけでなく、心、思慮の深さなどは、私には壮大すぎて想像し難いです。
境内をゆっくりめぐり、摂社末社の神様方の気配といいますか、優しい雰囲気に癒されました。
ここでは、今年どうしても手に入れたかった御守にも出会い、感謝の気持ちでいっぱいです。