三日恵比寿神社で福引き♪筑前國一之宮 住吉神社

福岡から東京へ戻る前に、筑前國一之宮 住吉神社に参拝してきました。

まだお正月3日ということと、三日恵比寿神社の祭礼だったので大賑わいでしたよキラキラ
 

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新幹線の時間を気にしつつ参道に並んでいたら、なんだか大丈夫という気持ちになり音譜

ありがたや~

全然余裕でございました。
 

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神門の扁額

 

 

 

 

 

おみくじはさらに長蛇の列だったので断念しましたが、三日恵比寿さまの福引&裏詣ではしっかりしてきました。

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この件と引き換えにくじの棒を引くのですが、全部大吉♪

何があたったか、読み上げてくださるのですが、巫女さんのお声もはっていてなんだかめでたい感じ。

静かに厳かな感じでのお詣りもいいのですが、こうした賑やかな参拝も楽しい爆  笑

何より、恵比寿さまも楽しそうでキラキラ

なんでも恵比寿さまはお耳が遠いので近くでお話しするのがよいとのこと。

裏詣ででは、至近距離で御礼をお話しできました音譜

 

で、私たちがあたったのはこれ爆  笑

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どちらも大吉

おおうちわと熊手ウインク

 

これが結構な大きさで、新幹線でも目立ちましたw

 

お正月ならではのにぎにぎしさ、堪能して福岡にお別れを。

次回はもう少しゆっくりしたいなぁ照れ

日本三大八幡 筥崎宮の元宮・大分八幡宮へ初詣

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

12月は激務が続いたので、年末は自宅で過ごし、年明けお正月はパートナーまこさんの実家福岡へニコニコ

福岡といえば、宗像大社住吉神社博多祇園山笠で有名な櫛田神社などなど、参拝したい神社がたくさんラブラブ

大きな神社もよいですが、初詣はやっぱり近所の鎮守神社や氏神さまがいいなぁと。

新幹線での移動だったので、初詣は2日に大分八幡宮へ♪

 

 

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社務所でいただいた案内によりますと
 

御祭神
応神天皇 ・ 神功皇后 ・ 玉依姫命

由緒
筑前國最大最古の八幡宮である。奈良時代聖武天皇神亀三年(726年)ご神託によって鎮西第一といわれる壮麗な社殿が創建され、代々朝廷の御崇敬も厚く、神事祭礼の折には太宰府庁の官人が参詣して執り行われたという。
宇佐宮御託宣集に『我宇佐宮より穂浪の大分宮は本宮也』とあり、又、福岡市の筥崎宮の元宮で本邦五所別宮第一に列した由緒あるお宮です。

 

筥崎宮もいつかは行ってみたいなぁと思っていたのですが、大分八幡宮がその元宮とはびっくり

ご縁があるようでなんだか嬉しく思いました。

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こちらの狛犬さん、アクロバティックでかわいらしかったですラブラブ

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こちらが拝殿。

裏手に見える山へは階段があって、お社があるのです。

こちらは自然の神さまの氣が満ちていました。
 

2019年は神結いの新しいミッションがあって、これはメンバーの方にはもうお伝えしているのですが、自分の状態にあわせて、参拝する神社(場所・土地)を選ぶことが重要になりそうですおねがい

御礼詣りでいただいたもの~椿大神社~

 
先週15日より夏休みをいただいて、お礼参りの神社詣で旅をしてきました。
誕生日ということもあり、パートナーのまこさんが旅の手配をしてくれました。
新幹線はグリーン車だし、現地ではレンタカーを借りて運転もしてくれたので、本当に快適。感謝感謝の4日間でした。
 
初日は全国の猿田彦神社の本宮である、三重県鈴鹿の「椿大神社」へ
東京の日枝神社猿田彦さんや、伊勢の猿田彦神社で、みちひらきの後押しをしていただいたお礼参りにいつかは伺いたいと思っていた椿大神社。今回の伊勢参りに予定することができました。
 
津の駅で降りてからレンタカーを借りて、鈴鹿方面へ戻ります。15日ということで、のぼり方面は帰省の混雑。
スムーズにいけば40分ぐらいだったのでしょうが、1時間以上かかってしまいました。
雨も降ったりやんだり。15日から3日間、東海地方は雨予報。
晴れは無理かもしれないけど、やむといいなぁと思いつつ、降り立ちました。
 
椿大神社(つばきおおかみやしろ) 御由緒
社伝によりますと、伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた「猿田彦大神」の御神霊を、人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社だそうです。


ぱらぱらと小雨の降る中、参道をすすみます。雨の参拝もなかなか雰囲気があっていいなぁ♪
一歩すすむごとにご神気が濃くなる感じです。
お礼参りということもあって、事前に自分を清め穢れを払ってから伺ったせいか、色々と情報が下りてきました。自分のマイナスを打ち消す事にご神徳を使うのも、大事の場合は仕方ないのですが、できればプラスに転じて、後押しだったり、その分のエネルギーをお返ししたいので、自浄してからお詣りしたいなと私は思っています。

神社でのFWでもお伝えしているのですが、氣あたりしない時は、マイナスの打消しに使ってしまうときが多いとき。逆に氣あたりするのは、プラスに転じているときという風に私は判断しているんですね。氣あたりしても、直会だったり、御神域付近で何か頂いておけば対応できるので、過剰な心配はいらいないのですけどね。

横道にそれました。椿大神社に戻ります(^_^;)
 

御本殿
猿田彦大神をはじめ、天孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命、木花咲耶姫命、天之鈿女命、行満大明神、合祀三十二神が祭られているそうです。
 
 
 

本殿をあとにし、猿田彦大神の妻神・天之鈿女命を主神として祀る別宮の「椿岸神社」へ。
朱色の社殿が雨に映えてキレイでした。
このあと、行満堂神霊殿や松下幸之助社もお詣りし、少し雨が強くなってきたので、境内にある鈴松庵でお茶をいただくことにしました☆
日本の心をこよなく愛した松下幸之助翁が茶道の発展を祈念し、庭園とともに寄進された茶室(小間、広間、立札席の三室)なんだそう。
お茶のセットをいただいたのですが、御菓子をのせていたお皿は持ち帰りできるんですね。
ありがたく頂いてきました。
鈴松庵をでて、参道を戻ります。
このときですね、雨は降っていたのですが急に太陽がでてきて、幻想的な景色になりました♪


なんかありがたいなぁと自然に「ありがとうございます」という言葉がでてきました。
ぱっと心が明るくなるような気持ち。あぁ来てよかったなぁ~
再び椿岸神社の前を通り、参道へ。


謡曲「鈿女(うずめ)」にうたわれている神代の神跡という「御船磐座」。この地に天孫瓊々杵尊一行の御船が到着されたと伝承されてきた場所です。近寄りがたいずっしりと重いエネルギーを感じました。
その後、獅子堂や摂社をお詣り。
すべてにお詣りできたね~と話していたら、急に晴れ間が広がってきました。

鳥居をでて、車道を下りていくとお茶屋さんがあるのですが、急に暑くなったので、立ち寄りました。
ここでもお茶を飲んだマグカップが持ち帰れるようになっていて、お皿とマグカップがお土産になりました。

今日はここまで。
伊勢神宮熊野三山詣でもしたので、ゆっくり書き残したいと思います。

最後までお読みいただいてありがとうございました。

箱根神社〜九頭龍神社 シンクロの1日


今日は神社でのフィールドワークでした。
戸隠の九頭龍社から託されたミッションを受講生さんに伝え、ご縁を結ぶため先ずは箱根神社

わたしのフィールドワークでは、わかりやすいサインをいつもお願いしています😊
せっかく受講生さんとご一緒に行くので、シンクロやただの偶然ではない神さまからの計らいを体験してほしいから✨

今日は龍神さまということもあり、小田原ではカンカン照りだった太陽が神社に着く頃には雲に隠れて、神秘的な靄がでてきたんです🐉
さすがです、神さま音譜

箱根神社は初めて。昨年は時間がなくて芦ノ湖から手を合わせただけだったので、わたし自身も今日のフィールドワークは楽しみでした。



朱の拝殿が美しい。

九頭龍神社では結婚式に出会しました😊
暑かったので、持ち帰りとはべつに飲むためのお水も頂きました。


御朱印をいただくのは、おまいりのあと階段下の社務所で。待つ間にランチを食べて、次は九頭龍の森にある九頭龍神社を目指します。


元箱根から九頭龍の森まで歩けなくもないのですが、猛暑なので無理は禁物。
バスで箱根プリンスまで移動し、そこから20分ほど歩きました。
九頭龍の森まではセラピーロード、緑のトンネルの中を歩くので日差しも和らぎ、芦ノ湖からの風も涼しくて快適でしたウインク


ご縁を次の方に結び、ひと安心しつつ、次の神結いの確認中のわたし。

同じ森にある白龍さまにもおまいりします。

今回はいつもよりエネルギーをたくさん使ったので、帰りのバスでは寝こけてしまいました。
いただいたメッセージはあとで受講生さんにお渡しすることにし帰宅。

で、終了😊のはずでした。。。。

のんびり晩ご飯を食べながら、テレビを見ていたわたしとまこさんに衝撃の出来事が‼️

まだ、終わってなかったー(;´д`)
まだまだ、続くよ。神結いは。

とりあえず続きはまた。



信州安曇野の記憶と穂高神社


戸隠古道5社巡りの翌日は信州安曇野の「穂高神社」へ参拝してきました。

7月1日のことです。

 

当初予定してなかった穂高神社でしたが、安曇野に行ってみたかったこともあり急遽向かうことにしましたニコニコ

 

実は私にとって安曇野は特別な場所。

訪れたのは初めてなのですが「命の恩人」ともいえる、恩師が住んでいた場所なんです。

 

 

恩師といっても、小学生の時に”教育実習”で短期間、かかわっただけの先生なのですが、実習が終わってからは、しばらくのあいだ文通していたんです。

 

 

色々複雑な家庭事情があった私に、この本を送ってくれた先生。
のちに、世界名作劇場でアニメ化もされました、この作品や、先生の言葉にどんなに励まされたことか。。。。
手紙の住所の安曇野という地名に私はどんなに安らぎを覚えたことか。。。。
いつしか、やりとりはなくなり(これもいろいろあってなのですが)
幼心にいつか行ってみたい。また先生に会いたいと思っていたので、今回行くことができて、この空の下、まだ先生は安曇野にいるんだろうかとちょっと切なくなりました。
もう名前も顔も思い出せないのですけどね。
先生からの言葉や教えはしっかりと刻まれています。
小学生ながら、人生に絶望していた私に”神さまは見ている”と教えてくださったこと。
そして、パレアナの本から”よかった探し”をすることで、どんなに救われたことか・・・・
 
穂高神社ではそんなことを思いながら境内を歩きました。
ご神木の向こうには参拝するまこさん。

境内で出会いましたラブラブ
 
御神馬 素敵なお話も聞けました。
 
穂高神社の奥宮は、上高地にあるんですよね。
先日行ったばかりですが、近いうちに今度こそ明神池まで行きたいなぁと思います。
 
 

 

 

 

 

 

 

戸隠古道を歩いて五社めぐり〜中社から奥社・九頭龍社

戸隠古道を歩いて五社めぐり〜一の鳥居から火之御子社の続きですウインク


 
一の鳥居跡からめぐる戸隠古道の旅。
火之御子社から、中社へ向かいます。しかし、朝早かったのでおなかが空いてきたショボーン
10時30分開店するお蕎麦屋さんへ。
 
人気店なのか、名前を書いて待つ人が既に多くいらして、順番待ちの用紙は2枚目となりました。
とはいえ、わりと早めにはいれて、おいしいおそばにありつけました。天ぷらもお勧めということだったので、私は天ぷらをのせたおろしそば爆  笑

 
さて中社へ向かいます。
 
<中社のご祭神・御由緒>
八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作られた神です。学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳があります。
社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」があります。
また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社社務所が置かれています。
公式HPより
 
 
中社の社殿の右側には滝があるんですが、ここがとても気持ちよかったです。清められる感覚というのは、多くの滝で体感してきましたが、ちょっと今までの規模とは違うというか……
で、写真を撮ろうと思ったのですが、なぜかシャッターを切れずキョロキョロ
こういう時は、逆らわず、しっかりと目に焼き付けるがよしですね。
 
時間も押していたので、中社をあとにし、奥社へ向かいます。
ここからの道も気持ちよ
かったです。足の疲れはアスファルトでも感じないほど、晴天だし、景色もいいし
 
 
 
 こんな景色を眺めながらの古道歩き✨最高ですね😊
 
古道を出て車道を渡れば、すぐ奥社です。
 
 
 
 

 
 
奥社への入口「随神門」
この随神門をくぐると、これまで感じていた、山や自然の空気から、がらっと神域になりましたニコニコ
すごくわかりやすい。
 

 
戸隠と言えば、この杉並木
歩いているうちに、どんどん祓われていくのがわかりますねウインク
 
このまま杉並木の奥に奥社があるかと思いきや、ちょっとだけ急な登りがありました💦
登りもまこさんは余裕。
 
ゼエハア言いながら、奥社に到着です
 
 
 
<奥社のご祭神・御由緒>
天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸を開き、天照大神をお導きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
戸隠神社の御本社として開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が全国に広宣され多くの崇敬者が登拝されます。
参道は約2キロ、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。
公式HPより
 
ところで、天の岩戸といえば、ちょっとというか、ずっと疑問だったことがあるんですよね。
天の岩戸にお隠れになった天照大神さま。
ほかの神さまが策を練らないと、表にだせなかったというところ、力の強い神さまでさえ、無理やりあけることができないって・・・
この疑問については、答えはわかったんですっきり。
このことについては、神社のFWでお話していますウインク
 
奥社の拝殿では、風が心地よくて、ここまでこれたことへの感謝をお伝えしました。
 
そして九頭龍社へ
 
<九頭龍社のご祭神・御由緒>
九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
ご鎮座の年月不詳ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として尊信されています。
公式HPより


九頭龍社では、現在、私の講座を受講している方々への個別のメッセージをいただきましたよ照れ
そして、私も……
神社仏閣でのメッセージの受け取り方やご縁結び
これらを今までは限られた希望者にだけ提供してきたのですが、あらたに「神結い」としてやっていきなさいということをアドバイスいただきました。
思い切って、そのお言葉どおり、戸隠から帰ってから1週間、色々と動いています。
ブログの名前も変えましたニヤリ
5社全ての御朱印をいただいたので、記念品が♪
この栞を持って来いと九頭龍大神さまよりメッセージをいただいたので、持っていきます。嬉しいことに、エネルギーをいれていただけました照れ
ありがとうございます!
 

少しのんびりとその場の空気をあじわったあと、車道までもどり、帰りはバスで一の鳥居跡まで戻りました。
いろいろと振り返ると、あのときのあのサインはこうだったんだなぁとか、気づきも多い五社巡りでしたおねがい
戸隠の神さまがた、ありがとうございました。
 
登拝よりも、トレッキングのほうが余裕がありいいですね。
 
 

戸隠古道を歩いて五社めぐり〜一の鳥居から火之御子社

 


昨年から行きたいねぇとまこさんと相談していた戸隠。いつものことながら時期は天におまかせしていたわけですが、梅雨明けの6月30日いってまいりました!半期の三十日詣でデス♪

戸隠神社の御由緒>
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。


公式HPより転載しました。
元々は寺院だったのですね、神道系のイメージでしたが、実際に歩いてみると仏像さまがいたり御堂があったりと、確かに霊場の雰囲気が色濃かったように思います。

5社巡りをどこからスタートするか、いつものようにお尋ねしましたら「一の鳥居」からとな笑い泣き
むむぅ。。。いつものことなのですが、登拝同様、昔からの参道を歩くことになりました。
予想はしていましたが、ね。
戸隠古道のルートは、公式HPに地図があるのでそちらを参考にしました!

というか、今回はその地図しか持っていきませんでした。古道とはいえ整備されているし迷うことはなかろうかとぼけー

一の鳥居苑地の駐車場に車を停めて、ここから歩く計画をたてましたが、朝到着してからのトレッキングはちとつらいので、前日金曜日の夜に東京を出発。
一の鳥居苑地の駐車場で車中泊し、早朝出発することにしました。
駐車場には綺麗な公衆トイレもあるようですし、安心です。
朝7時に出発し、途中お昼休憩をはさんで14時台のバスで駐車場へ戻る予定です。

さて高速インターを降りて、長野市内を順調に走っていましたが、戸隠へ向かっていたのは夜の23時過ぎ。対向車も後続車もなく、真っ暗闇のなかのドライブはなかなか・・・・
運転するまこさんは動物の飛び出しが怖いと慎重でした。
街灯もなかったので、一の鳥居苑地の駐車場の入り口がわかりづらく、ちと迷いましたが無事到着。
一息つく間もなく、明日のために寝ねばというときに、大粒の雨が降ってきました。
「こんな雨音で寝れるかなぁ」とぼやいてた私ですが、まこさん曰く次の瞬間には寝てたそうでぶー
ちなみに朝焼けもキレイだったのですが、なんせ眠くて「わ~朝焼け綺麗だね~」とまこさんと一度起き上がりましたが、再び夢の中へ~
ここは登山口でもあるので、4時半ぐらいから、続々と車がはいってきます。
身支度の方の気配で起きちゃいました。
駐車場はこんな感じ。



さて、出発です!
そうそう、この場所から歩く場合「戸隠古道ウォーキング拓本集印」といって30箇所ある石柱にて拓本をとることができるそうで、石柱がありました。

 
古道の始まりはここから!

今回は5社詣りが目的なので、我々はスルーしました。
それにしても、出だしからテンションあがります。この緑の気持ち良い道♪
 



<一の鳥居跡>
かつては戸隠神社の神域の結界を表す鳥居だったそう。江戸時代の寛政年間(1789〜1801)に大規模な石の鳥居が造られたそうなのですが、弘化4年(1847)の大地震で石の鳥居は倒壊。
その一部は170年の時を経てなお、確認することができます。

倒壊したとはいえ、当時のエネルギーというか、残留思念というのでしょうか。
場のエネルギーはちゃんと残っていましたね。
ここで、先を急ぐ気持ちにスイッチがはいった私。サクサクと足が進みます。他にも理由はあったんですけどね。
緑のトンネル♪


そうそう、拓本の他に「丁石」も設置されていて、古道を歩く目安にもなりましたよ。
と、言いつつ、五社を巡っている途中で数え忘れましたが

「一之鳥居苑地を起点とする戸隠古道を歩く際に、予備知識として知っておきたいのが「丁石(ちょういし)」の存在です。参拝へ向かう人の道しるべとなるよう、1丁(約110m)ごとに石が建てられています。もともとは、江戸時代に建立されたと思われますが、欠けたり、雪の重みで埋まってしまったり、持ち去られたりと、古いものはほとんど姿を消し、多くは比較的新しく設置されたものです。
一之鳥居から宝光社までは43丁(4.7km)、中社までは53丁(5.8km)あり、中社から奥社までは36丁(4km)の道のりがあります。その昔、参拝者を奮い立たせ、五社へと導いた丁石。それらを探しながら歩くのも、戸隠古道歩きの楽しみのひとつです。」出展:ナガノラボ



途中、車道と並行した道もあったり、車道を渡って、迷いかけたりしましたが、無事、1社目の「宝光社」に到着です。


ここまでおよそ2時間。
公式HPのMAPの縮尺に惑わされました。笑。
<宝光社のご由緒>
ご祭神
天表春命(あめのうわはるのみこと)
杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めています。
祭神は中社祭神の御子神様で、開拓・学問技芸・裁縫の神、安産の神、女性や子供の守り神として御神徳があります。
公式HPより転載しました。

さて、こちらは御由緒にあるとおり心して登らなければいけない急な石段があります。
2時間歩いたあとの急な石段で息があがりましたが、無事拝殿に到着。
呼吸をととのえ、おまいりさせていただきました。
柔らかい雰囲気を最初に感じましたが、そのあとは貫くような風が吹いてハッと見上げると、キラキラとしたエネルギーに包まれました。
ここまで来れた御礼をしてメッセージをいただきます。

私は神社仏閣を訪れる時にはいつも何かしら問いかけをしていたり、メッセージをいただけるようお願いしているのです。
基本的には極々個人的なことで、マツリゴトのような内容はいただきません。
ここでは、身体に関することをアドバイスいただきました♡
 

御朱印をいただいたら、2社目の「火之御子社」へ向かいます。
神道



途中「伏拝」という御神木と石碑がありました。



説明書き
室町時代の古書に「御正体飛来の処、伏拝と称す」と記しています。
天暦年中(990年頃)阿智の祝部(神主)が宝光社のご祭神・天表春命
(あめのうわはるのみこと)を奥社に合祀しました。
康平元年(1058)天表春命の御正体が、この地に飛来し、「奥社は女人禁制にして冬は登拝が困難である。この地は四季を通じて老若男女がお参りできる。社を建て我を安置せよ。」
と申されました。里の人々は、この御神意によって宝光社を建立し御正体をお祀りしたと伝えている。
 ・・・とのことでした。
この御神木からは思いがけずアニマルコミュニケーションのことについてアドバイスをいただけました。
実は、古道の山道を歩いているときに、目の前を狐さんらしき動物が横切ったのですが、そのときはびっくりしてメッセージ受け取れなかったのです。
もう一度伝えてくださったことに感謝。周辺の山の木々、生きものにもありがとうと言いつつ先に向かいました。



2社目「火之御子社」に到着です!
<火之御子社の御由緒>
ご祭神
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
高皇産御霊命(たかみむすびのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。
戸隠山の神様が神仏習合の当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。戸隠神社太々神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。舞楽芸能の神、縁結びの神、火防の神として尊崇されております。
近年は参拝される方が多く、境内には樹齢500年を超える『夫婦の杉(二本杉)』と有名な西行桜があります。公式HPより転載しました。

ここだけは終始神社としてあったのですね。他の4社とは違い顕光寺とは関係がないんだそう。
無人の神社なので、余計にかもしれませんが、しんとした静けさと、鳥居のすぐそばが車道にもかかわらず、御神域と自然の領域、人の住む領域がはっきりと区切られていました。
ここでは、わけあってメッセージは頂かず御礼だけお伝えしてきました。